2006/12/25 月曜日

Merry Christmas!!

Filed under: 日記, 海外 — 滝太郎 @ 0:57:44

皆さん、メリークリスマス。ってことで、クリスマスの写真です。

数年前の香港とニューヨークです。

こっちが香港。雪は降らないんだけど、けっこう派手なクリスマス でした。イルミネーションがクリスマスの後、字だけメリークリスマスをはずして、新年に変わっていたのは笑いました。それを旧正月まで引っ張ってました。ある種、香港の人たちの合理性を見たような。

香港のクリスマス

こっちはNY。おなじみロックフェラーセンターのクリスマスツリーです。この日はものすごく雪が降っていました。次の日、日本に帰るのに空港で4時間ほど足止めを食ったのを覚えてます。

NYのクリスマス

皆さんにいいクリスマスが訪れていますように。

2006/10/14 土曜日

アジア語楽紀行 トルコ語

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 21:33:01

NHK教育テレビのアジア語楽紀行でトルコ語をやっている。週3回、1回5分の短い番組で、旅行で使うトルコ語がコンパクトに紹介されている。本格的なトルコ語の勉強にはならないが、観光案内を兼ねてちょっと実用的な表現が学べる。テキストも出ているが、この内容を全部覚えたらそこそこ旅行ができるのではないかと思う。

しかし、1年間トルコに住んでいたが、あんまりトルコ語は勉強していなかったので、このくらいが自分にはちょうどよかったりするのが情けない…。まじめにトルコ語を勉強して、またトルコに行きたいなあと思ったりする。

NHKのアジア語楽紀行のサイトはここです。http://www.nhk.or.jp/gogaku/kikou/

ブルーモスク

スルタン・アフメッド・ジャーミイ(通称ブルーモスク)。アヤソフィヤ、トプカプ宮殿と並ぶイスタンブールのシンボル。

夜のブルーモスク
夜のスルタン・アフメッド・ジャーミイ。ここに限らず、トルコのモスクは夜のライトアップが美しい。

ボスポラス海峡
旧市街の高台にあるスレイマニエ・ジャーミイから見たボスポラス海峡。

エジプシャンバザール
番組にも出てきたムスル・チャルシュ(エジプトバザール)の入り口。ものすごい人が集まっている。庶民のバザールである。
ムスル・チャルシュは有名なカパル・チャルシュ(グランバザール)に比べると小ぶりだが、こっちのほうが掘り出し物が見つかったりもする。

2006/9/12 火曜日

9.11その2

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 0:50:19

同じ年の11月に再度ニューヨークへ行った。やはりグランド・ゼロが気になり行ってみた。5月に行ったときより幾分、整備されていた。観光客(?)にも見やすいように、特別の柵が作られ、在りし日のWTCの写真が掲げられていた。そして通りをはさんだ向かい側には相変わらず、たくさんの寄せ書きがあった。

グランドゼロ11月-1
柵の隙間からグランドゼロの内部が少しだけ見えた。

グランドゼロ11月-2
当日と11日後の写真があった。

グランドゼロ11月-3
かなり整備されていた。ちょっとした観光地か、それとも神話なき国の聖地になったのかも。

グランドゼロ11月-4
日本人学校からは千羽鶴が。

グランドゼロ11月-5
HEROたちにささげる手形。

今日のニュースでは消防や警察のHEROたちも苦しんでいた。
結局、誰も勝者はいなかった。ブッシュはアメリカが安全になったというけれど、その分西アジアの人々が苦しんでいる。そんな安全には意味はないんじゃない?アメリカは自分たちがよければあとはどうなってもいいの?

imagine
夢想的といわれても、ジョンの歌った世界がくることを信じたい。

2006/9/11 月曜日

9月11日..あれから5年

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 0:06:03

グランド・ゼロに行ったのは、2002年の5月。2ヶ月ほど続いたニューヨーク出張の最初の週末だった。2001年の9月にもニューヨークへ出張するという話があって、そのオフィスはWTCにあった。しかし、テロが起こったことで延期となり、翌年の5月になった。

幸いというかなんというか、行くはずだったオフィスでは誰も犠牲にならずに済んだ。あとでそこで働いていた人の話を聞いたら、「幸い」とか何とかというレベルで済まされる話ではなかったことが痛切に感じさせられた。

自分にしても9.11にニューヨークにいたか、WTCにいたかは紙一重の話だったと思う。何がそれを分けたのかはよくわからないが、いまだにいろんなことを考えてしまう。

グランドゼロ5月-1
グランドゼロの向かいにある柵にはいろんな寄せ書きが掲げられていた。

グランドゼロ5月-2
グランドゼロ横のビル。被害にはあったが壊れるほどまでは行かなかったらしく、布がかけられていた。

グランドゼロ5月-3
重機類と奥のビルの間がWTC跡地のグランドゼロだが、この時点ではあまり見えなかった。

グランドゼロ5月-4
別角度からのグランドゼロ。

グランドゼロ5月-5
グランドゼロ横の消防署(跡地?)

グランドゼロ5月-6
これはグランドゼロではなくタイムズスクエアに近い七番街にあった消防士の銅像。

とにかくこのときからたくさんのことが変わってしまった。世界の人が幸せに暮らせる世界は永遠に来ないのだろうか?
そんなことはないはずだと思うけど。どうすればいいのかこれからも探し続けなければならないんだろうな。

2005/12/14 水曜日

Visited Countries

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 0:00:39

世界のどれだけの国を訪れたかを知ることができるサイトがあった。

自分はたったの5%だった。期間は長いけど、国の数はたいしたことないなあと改めて気がついた。死ぬまでに50%は行きたいと思う。
次の狙いは隣国の韓国、台湾、ロシアあたりか?純粋に行ってみたいのは南米だな。

http://www.world66.com/myworld66/visitedCountries

2005/12/7 水曜日

ポタラ宮のトイレ

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 20:07:56

 チベットのポタラ宮は四方を崖に囲まれた丘の上に建っている。「垂直のヴェルサイユ」という異名を持っていて、高さ115〜119m(資料によって違う)、という壮麗な宮殿である。

 チベットのラサは海抜3600mという、もう少しで富士山の頂上と同じというところにあって、空気は平地の約三分の二ほどである。四川省(海抜500m)の成都から飛行機でいきなり行ったので、三日ほど高山病の頭痛に悩まされた。最初は宿の一階から二階へ上る階段でもヒーヒー言いながら登っていた。

 高山病は滞在三日目に落ち着き始め、四日目には普通に歩く分には息が乱れなくなった。これでなんとかいけるだろうということで五日目にポタラ宮を見にいくことにした。実際、ラサで会った高山病に弱い人は三度ポタラ宮見学にチャレンジしたが、頭痛と息切れで途中で引き返し四度目になんとか成功したということだった。

 ポタラ宮はチベット仏教の極彩色の空間とバター灯明のにおいが頭の中で入り混じって、美しくそして謎めいていた。主を失ったポタラ宮は観光施設になってしまったが、いまだ往時の輝きを垣間見ることができた。

 二時間ほどで見学が終了し、出口のところにあったトイレに寄った。トイレはポタラ宮の建っている崖にへばりつくようにあって、窓からはラサの郊外とチベットの山々が見えた。トイレといっても大広間のような部屋には仕切りなどなく、板の間に幅20cm、長さ50cmほどの穴があいているだけだった(サイズは記憶なのでもしかしたら違っているかも)。

 ある意味よくうわさに聞く典型的な中国のトイレだった。当時、中国に一年ほど滞在していて、慣れてしまっていてトイレの形式に対する抵抗感はなかった。汚なさでいえばここよりはるかに汚いところをたくさん経験していたし、真冬だったのでにおいもしなかった。

 (大)をしようとして、よっこらしょっとズボンを下げた。かがんでみるとなにやら下から涼しい風が…。さらに下を向くと穴の向こうからうっすらと光が見えた。な、なに?と思ってよーく下を見てみると、トイレの下には高さ数十メートルもある広い空間になっていた。ちょいとびっくりして、(大)が止まってしまった。あまり高所恐怖症ではないのだが、なんか吸い込まれそうな気がしてしまったのだ。大丈夫とはわかっていてもびびってしまった自分が情けなかった。結局、下までがまんして歩き、ポタラ宮の前にあるトイレに入ってなんとかしのいだ。

2005/11/19 土曜日

後ろ向きに歩く人々??

Filed under: 海外 — 滝太郎 @ 18:44:51

 8年ほど前のことになる。そのころ、中国の黒龍江省の寧安という町に住んでいた。黒龍江省の中では比較的南部だったが、日本で同緯度というと北海道の名寄あたりになる。大陸のしかも内陸部なので日本よりはいくぶん寒く、冬になると−10度〜20度ぐらいにはなった。町を普通に歩いていると、鼻毛がパリパリしたり、上下のまつげがくっついて目が一瞬開かなくなることもあった。

 これだけ寒いのだが、おじさんおばさんたちは露天で一日中商売をしている。ただただ凄い。笑ってしまうのは、アイスクリームが露天で冷凍庫なしに台の上に置かれて売られていたこと。あんたらこれだけ寒いのに喰うんかい、アイスクリームを(^_^;。ま、部屋の中暑いからな。おれも半袖でいるし。

 中国では一月後半から春節(旧正月)の休みで、おれも2月末まで休みだった。2月は日本に帰ろうと思っていたが、中国の正月も見たいのでしばらく暇つぶしに旅行をすることにした。

 とりあえず火車(汽車)に4時間ほど揺られ、省都のハルビンへ行った。ハルビンは町全体が凍っていて、氷灯祭という氷の彫刻の祭りが行われていた。夜は彫刻の中に入った電灯がつけられ、きれいといえばきれいだけど、けばけばしさのほうが目立った。

 ハルビンに行ったところで、もっと北に行ってみたいと思った。ここから北というとロシアしかない。ハルビンにもロシア人がたくさんいた。といっても、ロシアのビザは持っていないので、ロシアへは行けない。そこで黒龍江(アムール川)沿いの黒河へ行くことにした。

 火車の切符を購入し、一晩かけて黒河へと行った。駅にいたタクシーのおじちゃんに外国人が泊まれる安めのホテルへ連れて行ってもらった。暖房がしっかりしていたのでそこに泊まることにした。冬にロシア人以外の外国人が来るのは珍しいらしく、いろいろとホテルのフロントの人に話し掛けられた。

「何しに来たんだ。」
「特に目的はない。ただ、寒いところが見てみたかったんだ。」
「あんまりおもしろいところはないぞ。」
「街中を歩いたり、川を見にいったりするよ。」
「もの好きだな。」

 黒河は清朝時代に対ロシアに対峙する拠点として作られたアイグンが元になっている。現在では対岸のロシアのブラゴベシチェンスクという町との間で貿易が盛んに行われている。特に川の凍る冬場は車が通れることもあって、行き来が増えるそうだ。実際、かなりたくさんのロシア人が買い物に来ていた。

 ホテルの部屋でしばらく休んでから、町の中をぶらぶら歩き始めた。寒くて周りがすべて凍りついていること以外は普通の中国の町。とにかく町並みは中国はどこへ行っても画一である。規格ものが多いのだろう、こういうところは経済を開放したとはいえ社会主義の片鱗をうかがわせる。

 黒竜江(アムール川)はバリバリに凍って、平気で歩けた。中央が国境線だそうで、ものものしいのかと思ったら簡単に歩いて行けてしまった。

 すべてが凍りついている川をしばし眺めながら、氷がとけて川岸の柳が風に揺れる夏を想像してみた。川はいろんな想像をかきたてる。たくさんの人が行き来したのだろうと。また夏に来て、カヤックで旅してみたいと思った。

 町を歩いていて、不思議に思ったことがあった。人が後ろ向きに歩いていることだ。何をやっているのだろう??後ろを向いて数十メートル歩き、進行方向を確認し、また後ろ向きに歩く。そういう行動を繰り返している人が全体の3割ぐらいはいた。

 よく観察してみると、そういう人は必ず同じ方向に進んでいるのだ。何でだろう?

 彼らと一緒に通りを歩いたら、答えがわかった。彼らは風に向かって進んでいたのだ。完全防備はしているものの、顔はどうしても出てしまう。風上に向かうと顔が寒い。寒いを通り越して、痛かった。それもそのはず、部屋に帰ってテレビを見たら天気予報でその冬一番の寒さで−40度を越していたそうだ。

 しかし、外の人間から見ると珍妙にしか見えないけれど、ちゃんと意味のあるものなんだなあと感心してしまった。

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