2007/6/3 日曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 11:58:53

実は前二作は見ていない。一作目は録画したけどレポートで忙しくて見る暇がなかった(笑)。娯楽アクション作品としてはそこそこだったと思う。

ただし、自分が前二作を見ていないからか、脚本が甘いのかはわからないが、ストーリーがとっ散らかりすぎじゃないの?ってのは思った。ラストも予想できてしまった。ウィルとエリザベスの愛の話もなんかステレオタイプだし、アジアの海を舞台にしているといってる割にはそういう感じは最初のチョウ・ユンファ演じるサオ・フェン(なんか渡辺謙を彷彿とさせた)が登場したところぐらいか。まあ、またそのシーンもステレオタイプなアジアなのだけどこういう映画だからよしとする。海の神様(?)カリプソもいまいちだったなあ。戸田なっちの字幕も相変わらずだった。

ストーンズのキースがジャック・スパロウの父役で出ていい味出してたのが自分の中では収穫でした。

2007/4/14 土曜日

ブラッド・ダイヤモンド

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 20:17:42

西部アフリカのシエラレオネを舞台にブラッドダイヤモンド(血塗られたダイヤモンド)、または紛争地ダイヤモンドをめぐる争いを描いた映画である。反政府組織にダイヤモンド採掘をさせられていた漁師が大きなピンクのダイヤモンドを発見し、隠す。それをかぎつけたローデシア(現ジンバブエ)出身の元傭兵の密輸商人(レオナルド・デカプリオ)、反政府組織、軍隊が争奪戦を繰り広げるといったストーリーである。内容的には社会派としてもアクションものとしても見ることができる。

ストーリーはフィクションだけど、登場する反政府組織のRUF(統一革命戦線)は実在していて、映画が舞台とした1999年には実際にシエラレオネで内戦が行われていた。去年見た「硫黄島からの手紙」もそうだったが、この映画も人がゴミのように捨てられていく戦争の恐ろしさが描かれていた。特に印象に残ったのは、RUFに誘拐された漁師の息子が洗脳され少年兵士とされていくところだ。人を殺させ、感覚を麻痺させられて道具として使われていく。感情を麻痺させられてロボットのようになった子供は親と再会しても親とわからなくなってしまっている。そんな子供たちが世界の紛争地には何十万(ユニセフの試算では約25万)といるという。人が自分のやりたいことをできずに人殺しをさせられるということが今この世界にもたくさんあるというのを考えるだけでもぞっとすることである。

主演はレオナルド・ディカプリオで、タイタニックのころはただのかわいいニイチャンというイメージだったが、この映画のようなハードな役柄もこなせるようになって、男が見てもカッコイイ役者になったなあと思う。同じディカプリオの映画で「ディパーテッド」がアカデミー賞を取ったが、むしろこっちがアカデミー賞ものなのではないかと思った。それぐらいよかったと思う。まあ、アメリカには耳が痛い映画なのかもしれないが。

これが遠い場所での自分たちと関係のない戦争なのかというとそうでもない。ここでゲリラが掘ったダイヤを買っているのは日本を含む先進国の人々なのだ。少なくともダイヤを買うときは確認したほうがいいんじゃないかと思う。

以下が紛争地ダイヤモンドについてのサイトです。興味があったら見てください。

http://www.diamondfacts.org/japanese/index.html

2007/3/26 月曜日

どろろ

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 0:28:15

前半はよかった。最初に百鬼丸が出てきたところ、戦いのシーン、百鬼丸(妻夫木聡)の生い立ちの話のあたりは日本のヒロイックファンタジーとしてわくわくする展開だった。ところが、芋虫の妖怪のあたりから、ん?って感じになってきて、中盤の戦闘シーンは単なる怪獣ものになってしまっていた。ワイヤーアクションもCGも軽すぎて、リアリティが感じられず。百鬼丸とその父の醍醐(中井貴一)との最後の戦いの結末もそれはねーだろって感じ。んでもって映画のラストはラブコメになっていた。

手塚治虫の原作は読んでないので、そっちのほうのコメントはできないが、こんな軽い話なのだろうか?って思ってしまった。原作を読んでみたいと思った。

撮影したニュージーランドの風景が日本とは違った異世界感があった。単純な過去の日本としなかったのは面白かったと思う。

まあ、評価は割れると思うが興味があれば見にいったらって感じかな。もう少しで終わるけど。

2007/2/20 火曜日

不都合な真実

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 1:08:31

ゴア前アメリカ副大統領の講演を中心とした環境問題を警告するドキュメンタリー映画だ。ほぼ全編ゴアさんの講演なのだけど、ともすれば重くなりすぎる話をユーモアを挟みながら緩急おりまぜて話す。その観客をひきつけて放さない話術はさすが元副大統領だと思った。興味がない人が聞いても惹きつけられるんではないだろうか。環境問題の話はもちろんのことプレゼンテーションの勉強にもなる映画だった。

個人的に環境問題には興味があるのだけど、環境というと最近はロハスなんてものになってしまっていて、その語感に伴う恥ずかしさ、商売のにおい、苦手なスピリチュアルのにおいを感じてしまって敬遠してしまっている。どうもロハスは自分にとっては何が言いたいのか核心がはっきりしないのだ。その点ゴアさんの話は彼も言っているように、科学的事実だけに基づいていて説得力のあるものだった。

一応、買い物にはショッピングバッグを持参したり、アイドリングストップを心がけたり(こっちは地球に優しいというより財布に優しいという理由が大きいけど)とか自分でできることを少しづつはやっていたりする。それに満足せずにさらに何かできる事をやらなければと思わせる映画だった。

2007/1/31 水曜日

ディパーテッド

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 1:42:43

最近、また見たくなる映画が多くて困っているが、ディパーテッドを見てきた。香港映画のインファナル・アフェアのリメイク版らしいが、そっちのほうは見ていない。内容としてはギャングに乗り込んだ警察官と、警察に入り込んだギャングの手先の探りあいを中心としたアクション映画でかなり楽しめた。ラストが意外であっけなく感じるかもしれないが、自分はハリウッド映画っぽくなくてよかったと思う。

主役はディカプリオとマット・デイモンだけど、ジャック・ニコルソンの存在感のすごさに二人の存在はかすんでしまった。怪優振りが発揮されていて、それを見るだけでも価値があった。アドリブがどんどん飛んできてディカプリオも対応するのが大変だったそうだ。

ところで、この映画で印象に残ったのはアメリカにおけるアイルランド系の人々の位置づけだった。白人の中では主流のアングロ=サクソン系に比べて差別された存在で、その苦しみがよくわかった。ニコルソン演じるコステロのようにギャングになる人も多かったそうだ。逆に警察官もアイルランド系が多かったらしいが、その辺は劇中の警察官の葬式でアイリッシュ風のバグパイプ演奏されているところに出ていた。そのあたり、差別されてはいたが、アメリカ文化の基層のひとつにもなっていたところが感じられて面白かった。アイリッシュ好きの自分も楽しめた。

2006/12/24 日曜日

シャーロットのおくりもの

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 12:56:40

子豚のウィルバーとクモのシャーロットの友情のお話。そのほか納屋にいる馬、羊、牛、ガチョウ、ねずみなどが出てくる。今年はけっこう激しかったり勇ましかったりした映画を多く見ていたので、最後の締め(なのかな?)にはほのぼの系の映画を見に行ってきた。

ブタ映画といえば名作 ベイブでもそうだったが、どうやって食べられる運命から脱するかが主題になっている。この映画では母親のおっぱいにありつけなかったウィルバーを助け子供のようにかわいがる女の子のファーン(ダコタ・ファニング)とシャーロットとネズミのテンプルトンの活躍で救われる。感動物語のパターンを踏襲している話で、ある意味予想通りの展開であるが、不覚にも感動してしまった(笑)。家族で見ても、恋人同士で見ても安心できる映画だと思う。

画像もきれいで、シャーロットがクモの巣を作るシーンはCGが美しい。しかし、それよりもこの映画の舞台となったアメリカ、メイン州の美しい自然、特に秋の紅葉の風景は美しかった。鎌倉もきれいだがあのはてしなく広大な森の紅葉にはかなわない。

声の出演が豪華でシャーロットがジュリア・ロバーツ、馬のアイクがロバート・レッドフォード。この手の映画は子供が見ることを意識して、吹き替え版が多いのだが、吹き替えで見るには惜しすぎる。いつも行ってるワーナーマイカル茅ヶ崎だと吹き替えのみだったので、ワーナーマイカルみなとみらいまで遠征してきた。英語もすごく聞き取りやすく、勉強中の人にはいいリスニングの勉強になるだろう。できるだけ字幕を見ずに楽めた。

おすすめです。

こっちが原作
シャーロットのおくりもの
シャーロットのおくりもの

いつだってそばに―Wit & Wisdom from シャーロットのおくりもの
いつだってそばに―Wit & Wisdom from シャーロットのおくりもの

アニメ版

シャーロットのおくりもの オリジナル・アニメーション
シャーロットのおくりもの オリジナル・アニメーション

シャーロットのおくりもの ウィルバー大ぼうけん
シャーロットのおくりもの ウィルバー大ぼうけん

2006/12/20 水曜日

映画のCM

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 1:09:07

最近の映画のCMでやめてほしいものがある。高校生か大学生ぐらいの若い女の子が泣いているやつだ。公開中の人気のない映画か、人気があっても公開から時間がたってテコ入れが必要だと判断された映画に多いようだ。どうもあれを見るとその映画を見る気を無くしてしまう。経験上、つまらない映画が多かったりする。

実際、人生経験の少ない女の子が泣いていたとしても、自分が感動するとも思えないし、逆に感動したから泣くとも限らないと思う。深く考えさせられるような内容の映画だとむしろ、いろんな思いがよぎって泣けなくなってしまう。ネットの映画評を見ていると泣けるか泣けないかで判断している人も多いらしく、その辺には違和感を感じてしまう。自分の感覚がずれてきてしまっているのだろうか?

むしろ長い人生を過ごしてきたお年寄りが泣いてたりすると興味をそそられるが、そういうのは絵にならないからCMにもならんだろうなあ。

「硫黄島からの手紙」でも最近、女の子が泣いているCMが流れている。なんか安っぽくなってしまうのでやめて欲しいのだが。

2006/12/17 日曜日

007 カジノロワイヤル

Filed under: 映画 — 滝太郎 @ 2:19:25

先週たてつづけに重い映画を見たので、娯楽作を見に行ってきた。「カジノロワイヤル」というとショーン・コネリーの007ではなく、高校のころに読んだ007のパロディ小説の 定吉七番シリーズ 角のロワイヤルを思い出してしまった。パロディとはいっても本家にひけをとらないくらい面白かったのを覚えている。たしか、角のロワイヤルは東京にある高級クラブだった…。なんて話をしていると年がばれるな。

今回はボンドが007になるまでの物語。なんかスターウォーズあたりから、そういうのが多いよなあと思う。バットマンもそうだったし。でも、実際そういうのも面白くて見てしまうんだよなあ。日本だったら寅さんがああいう風になるまでとか、水戸黄門が諸国を旅し始めるまでなんてのを作ってみたらどうだろうか。まあ、見ないと思うけど(汗)。
スパイ映画というとアクション満載で息つく暇がないというイメージがあるが、この映画はメリハリがきいててよかった。同じスパイ映画でもアメリカンなMIシリーズに比べて、ヨーロピアンな渋さが光っていたと思う。MIのありえない感じとは違って、ちょっとはありそうな感じがしてしまうのも面白いところではあった(実際にはないと思うけど。)。007につきもののハイテク機器はそれほど出てこないが、その分ジェームズ・ボンドの人間性が出ていて好感が持てた。前作までのスマートなブロズナンよりも、ちょっと屈託があってクールな感じのダニエル・クレイグのほうが魅力的だったと思う。

パソコン使ったり、携帯でメールやり取りしたりとスパイも時代に合わせて変わっていて、昔のアクロバティックな連絡の取り方がなくなっているのはちょっと残念ではある。これも時代の流れかな?変に身近な感じがしてしまったが、もうちょっと荒唐無稽があってもよかったかもしれない。

舞台はけっこうよかった。ベネチアやコモ湖(モンテネグロのカジノロワイヤル)などのイタリアの風景や、粋なセリフ回しなど、ヨーロッパ風のおしゃれな雰囲気が満載。ボンドカーとしては物足りないかもしれないが新旧のアストンマーチン対比などツボも押さえられていた。次回への期待をさせるラストシーンも秀逸だった。

全体としては単純なストーリーだけど、難しいことを考えないで楽しめるお勧めできる映画だったと思う。

しかし、先週見た硫黄島2部作とは違った意味で人が簡単に殺されたりして、こっちでは命の重みではなく、命の軽さを感じてしまった。

2006/12/12 火曜日

父親たちの星条旗

Filed under: 大事なこと, 映画 — 滝太郎 @ 0:34:50

「硫黄島からの手紙」を見た勢いで、順序は逆だったが「父親たちの星条旗」を見てきた。どちらの映画もひとつの作品として見ごたえのある作品だった。しかし、この二つをあわせて見て、クリント・イーストウッドが訴えたかったことがよりよく理解できた。栗林がなぜ洞窟を掘って戦ったのか?自決した日本兵を見て米兵はどう感じたのか?圧倒的な物量を持つアメリカ軍に対し、どう日本軍は抗戦したのか。その辺が合わせ鏡のようになっていて、興味深かった。また、日本、アメリカともに自国の事情にばかり注意が行きがちだが、敵も血の通った存在として理解することが大切だという監督のメッセージが伝わってきた。

この映画は硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てた六人の兵士。そのうちの硫黄島の戦いで生き残った三人は英雄に祭り上げられ、アメリカ政府の戦時国債キャンペーンに利用される。政府が要求する彼らの姿と硫黄島で経験した彼らの真実のはざまに板ばさみになった苦しみを描いている。キャンペーンツアーと硫黄島でのリアルな戦闘シーンがめまぐるしく移り変わることで彼らの苦悩が浮き彫りにされていた。

三人だけでなく他にも多くの兵士が戦い、あるものは生き残り、あるものは死んでいった。その兵士たちの中に誰が英雄で誰が英雄でないという区別はなかった。戦場ではみんなが平等だったのだ。ただ単に運がよく生き残っただけなのだ。硫黄島での本当の話を彼らはしたかったはずだが、それが許されなかった。彼らは「自分は英雄なんかじゃない」と叫びたかったはずであるが、政府から期待されたこと以外は何もできなかったのである。最後のほうにあった「英雄とは必要な時に作られるもの」という言葉がこの映画の主題を表していた。戦争に「カッコイイ」は断じてない。

二つの作品を通してみて、印象に残ったのは戦闘の激しさ、残酷さだ。一瞬前まで元気で生きていた人がただの肉の塊になってしまう戦争の恐ろしさがはっきりと伝わってきた。爆弾で死んだ兵士の焼けただれた体、ちぎれた肉も容赦なく映像化されていた。負傷し血がドクドクと流れていて、助からないのがわかりながらも、それでも生きたいと願う兵士の悲しさ。そんなたまらない映像が立て続けに出てくる。それを抑えた色調のフィルムによって、グロになりすぎず何とか見ることができた。それでも十分きつい映像もあったが…。とにかく、もうそこには敵も味方もなく累々たる死体の原っぱが広がっていただけである。英雄が存在する余地はそこにはない。

二つの映画を通じて日本人とアメリカ人の交流シーンはほとんどない。栗林の回想を除くと「手紙」で伊原剛志が演じた西と彼が部下に手当てをさせた米兵との会話だけだった。その米兵が死んだ後、西が読んだ米兵の母親からの手紙にこの二つの映画の主題が詰まっていたのではないかと思う。その手紙は無事を願い、帰りを待つ愛に満ちたものだった。日本の兵士もアメリカの兵士も区別などはなく、それぞれが生身の心を持った人間だったのである。彼らには無事を祈る人がいて、それぞれがいろんな思いを残して戦っていたのである。それを日本にもアメリカにも偏らずに描くには二つの映画が必要だったのだと思う。

「手紙」のところでも書いたが、戦争は一人の個人の意思なんかとは関係なく、どんな思いも踏み潰していってしまうということである。死んだものには未来はなく、生き残ったものの未来はほとんどの場合望まない方向へと大きく変わってしまうのである。そんな未来を踏みにじられないためにも戦争はやってはいけない。

父親たちの星条旗
父親たちの星条旗
原作本も読んでみようかと思っている。ちなみに「硫黄島からの手紙」は原作はない。便乗本はある。

2006/12/10 日曜日

硫黄島からの手紙

Filed under: 大事なこと, 映画 — 滝太郎 @ 3:30:32

渡辺謙の講演会があってから、かなり自分の中で葛藤があった。何をしていても戦争のことをどこかで考えていた。やっぱり戦争はいやだ、自分はどうすればいいのか?そういう思考が頭の片隅にずっとはりついていた。

そういう葛藤の中で、この映画を見なければという思いと、見るのが何か怖いという思いが交錯していた。見ないという選択肢もあったが、そうしたら絶対に後悔するだろうなと思い、見に行ってきた。やっぱり見に行ってよかったと思う。

もともとクリント・イーストウッド監督には ミリオンダラー・ベイビーのハードボイルドさに打ちのめされたこともあり、しっかりした映画を作ってくれると思っていた。抑えた色調の画像で全編を統一し、日本人監督だったら描くことが難しいと思われるシーンもしっかりと撮っていた。泣いていた人もいたが自分には泣くというところとは違う部分にずしりときた映画だった。

さて、自分は硫黄島からどんな手紙を受け取ったのだろうか?

硫黄島で戦った人はいろんな背景を持っていた。渡辺謙演じる栗林中将はアメリカに留学していたこともあるかなりリベラルな人、伊原剛志演じる西中佐はロサンゼルス・オリンピックの馬術金メダリスト。この二人は自由な精神を持っていて、部下も人間的な扱いをした。中村獅堂演じる伊藤は一般的な軍人のイメージに一番近く、潔く散ろうとするが意思に反してちょっと間抜けな形になってしまった人。加瀬亮演じる清水は厳格な軍人たらんとするが、非情になれなかった人。二宮和也演じる実質的主役の西郷は本土に妻とまだ見ぬ娘を残して、いやいやながらも戦っていた。

その他にも、いろんな人がいたのだと思う。平和であればそれぞれいろんなことを、いろんなところでしていたと思う。日米あわせて五万人以上の人が死んだということは、五万の人生、未来が失われたのだ。その五万が平和でそれぞれの人生を生きていれば、それは世界にとっての大きな力になっていたに違いない。しかし、そんなひとりひとりの人生など有無を言わさず破壊してしまうのが戦争だ。だからこそ戦争は無意味でやってはいけないことなのである。こんなことを、監督のクリント・イーストウッドはじめスタッフ、キャストの人々は訴えかけているのではないかと思う。

自分の受け取った手紙にはそう書いてあった。

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